子どもの教育における運動
子どもの教育という言葉から多くの人が連想することは勉強であると思います。もしくはしつけといった低年齢向けのものかと思います。もちろん精神的、道徳的な教育は必須ですし、ゆがまないようにきちんとした道徳観を教え込むのは大切なことです。しかし健全な精神は健全な肉体に宿るという言葉があるように体と精神は切り離せない関係にあります。どちらもバランスよく教え導いてあげる必要があるのです。子どものころかけまわったことがない、という子どもが増えています。近所付き合いも昨今では少なくなり、不審者もいるかもしれないのに子どもをどこかしれない場所で遊ばせられない、昔の子どもが泥だらけに遊んだように現代の子どもを遊ばせるのは正直抵抗があるというのが今の親世代だと思います。しかし怪我をしたことがない子どもは成長してから難しいことになることもあるのです。たとえば人の痛みがわからない、という子どもがいます。それは机上のものだけで体験していないということもあるのです。
怪我をしたことがある人は痛いからいやだ、という根本的なものが植えつけられます。自分でやったことがあるからこそ真実味が生まれ、自分の中に根付きます。しかし成長するまでこうしたものがなく、それこそ箱入りで育てられたような人は増えていると思います。もちろんほとんどの人は元気に平気に育つでしょうが、痛みを知らない、自然を知らない。本物に対しての認識がたりないというのは子ども自身の豊かさにかかわることだと思います。